
風景や時代を切り取った普遍的な作品を描く永井博さんと、
シンプルで飽きのこないデザインを提案するDELFONICS。
文具を通し、コラボレーションが実現しました。
永井さんとDELFONICSが惹かれ合う理由は何なのか?
DELFONICS代表、佐藤達郎との対談を通して、
そこにある共通点を探りました。(2017.4)
先日、永井さんにいただいた絵を、うれしくて思わず持ってきてみました。
あぁ、これね(笑)。
自分の好きな音楽グループを順番に描いた作品の1つですが、
デルフォニックスの絵だから「あげるよ」って。
スタイリスティックスが日本に来たときに、
ポスターの仕事で描きはじめてから、
デルフォニックス、ブルー・ノーツ、ブルー・マジック、
そして最後に描いたのがモーメンツだったかな。
今日、たまたまブルー・マジックのレコードも
ここに持ってこようと思っていたんですよ(笑)
学生のころ、あの辺の音楽にひたりこんでいた時期があって。
1973年に、アメリカの西海岸から東海岸まで旅をしたんですけどね。
サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ、ニューヨークという感じで。
そのとき、デルフォニックスが出ているというので
アメリカのアポロシアターまで見に行きました。
一緒に出ていたドラマティックスも、すごくかっこよかったな。
僕がアポロシアターに行ったのは、10年後の1983年頃。
西海岸のロサンゼルスから入り、サンディエゴ、飛行機でニューヨークに渡り、
グレイハウンドに乗って転々としながらサンフランシスコに帰るというルートでした。
永井さんの一周遅れくらいで、同じ道をたどっていますね(笑)。
永井さんの世代では、まず旅と言えばアメリカだったんですか?
そうだね、当時は外国というとアメリカしかなかった。
何だかんだ言っても、今もアメリカが好きなんですけどね。
でも、アメリカに行っても入る店はヨーロッパ系の店。
服はヴェルサーチばかり買っていたし、モノはヨーロッパが好きなの。
アメリカの服はTシャツとトレーナー、あとコンバースくらい。
僕は中高のころ、最後のVAN世代でした。
あぁ、僕もVANですよ。
そうなんですか?
18歳の頃だから、今からもう50年も前か(笑)。
中学の頃はパンタロンみたいな太いパンツが流行っていて。
その後、高校でアイビーに。
周りの高校生は、先の尖った靴をみんな履いていたんだけど、
僕は、それを止めてスリッポンになった。
マドラスチェックのシャツにVANのカーディガンを着てね。
雑誌の『MEN'S CLUB』がまだ季刊誌の時代だけれど、
田舎で、そういうファッションをしている人は4~5人しかいなかった。
僕の時代も、外国と言えばアメリカでした。
でも、徐々に違うものへ興味が生まれたこともあって、
その後、ヨーロッパの文化に入っていったんです。
たしかに80年代は、ヨーロッパの時代になったね。
70年代は『MEN'S CLUB』『POPEYE』があって、アメリカじゃないですか。
80年代後半って、時代が変わりましたよね。
時代的に多くの人のアメリカへの興味が薄れていって、
そのころ、僕も仕事がなくなりましたよね(笑)
先ほど言われたように、アメリカからヨーロッパへと
日本のカルチャーのメインストリームが移りつつ、
少し露出度は減りましたよね。
でも僕にとって、永井さんはずっと巨匠だった。
自分が子供のころの日本を思い出すと、何となくジメッとしているイメージがあって。
田舎の祖父が、夕方暗い座敷で白黒テレビをつけて大相撲を見ているような(笑)。
今でこそカラーの大型テレビで空気感は一変してしまったけれど、
僕は、あの雰囲気が受け入れられなかったんですね。
スティーヴィー・ワンダーが陽の曲を歌い上げるあの抜けのある感じや、
アメリカの西海岸のカラッとした感じ、明るい将来を喚起してくれるような……。
日本には、そういうムードが無いような気がしていた。
そのときに、永井さんの絵を見たんです。
これまで見たことのない、すっと抜けのある圧倒的な心地良さ。
今日は、なぜそんな作品が描けたのか、その背景も聞いてみたいと思っていました。
やっぱり、アメリカに行ったからだと思うんですよね。
その前には、ダリのようなシュルレアリスムにも影響を受けています。
ダリも青空を描いているんだけど、それは暗いと思うんですね。
アメリカでは、空港の駐車場に車が止まっていて、
そこから影が伸びている。そんな風景を見たの。
シュルレアリスムと、アメリカのポップアートが混ざったのかな。
アメリカの風景をリアルに描いたスーパーリアリズムの展示が
東京都美術館であって、それにも刺激を受けました。
永井さんの絵には、建物も出てきますね。
リチャード・ノイトラという建築家が好きなんです。
ノイトラも設計しているケース・スタディ・ハウスという家が大好きで。
あと、ル・コルビュジエや彼に師事した坂倉準三も。
僕もあの辺の建築家、日本なら坂倉準三や吉村順三、前川國男など大好きです。
そういった永井さんの中にあるモダニズムの部分に、共感するのかもしれません。
最近は、音楽の流れも変わってきていますね。
僕は、ずっと変わらずに仕事をしていたけれど、
2000年頃に世の中が変わってきました。
しばらくは、僕なんかの時代ではなかったのですが、
2000年頃に音楽ではAORが流行ってきて。
ビクターから発売されたAORのコンピレーションの仕事をしたのですが、
それがヒットして、今はAORやシティポップが来ています。
ここ10年くらい、そんな形でまた脚光を浴びてしまったの。
そうですよね。
それって、どういうことなんでしょうか。
いい音楽や作品は、やはり普遍的に繰り返すというか?
自分でも、不思議なんだよね(笑)。
何となく、時代がそういう気分なんだろうね。
今は、80年代の邦楽をかけるDJも多いものね。
永井さんのそんなご活躍は聞いていて、
でも、なかなかお会いできるチャンスが無かったのですが、
永井さんの展覧会に近しい人がかかわっていたこともあって、
コラボレーションの話が動き出しました。
DELFONICSは、どちらかと言うと、
アメリカ文化の後にくるヨーロッパの流れを背景に持つブランドです。
そのような中でも、永井さんの絵は「はまるなぁ!」と思いました。
気分的にも、今の時代にも。
今の若い人には、どういう感覚で受け止められているのでしょうか。
若いファンに聞くと、はっぴいえんどから始まり、
大瀧詠一を聴いて、そして僕を知りましたと。
でも僕の周りにいたクリエイターのことは、あまり知らない。
だから、音楽ってすごいと思います。
広告の作品は消えていってしまうけれど、音楽は残っている。
だから今は、音楽の仕事は断らないの(笑)。
とはいえ、永井さんの普遍的な絵の良さ、
抜けがあって心をわしづかみにされてしまうようなあの感じ。
そこにパワーがあるからこそ、伝わるべきところに伝わっている。
そんな感じがするんですよね。
僕には分からないけどね。
もちろん、仕事をするなら僕の絵に合っている音楽がいいですよね。
若い人で曲を送ってくるミュージシャンもいるけれど、
自分に合っていれば、ギャラはいくらでもいいよって言っちゃう(笑)。
今の時代に、永井さんの絵が確実に届いてくる感じがしますが、
DELFONICSも、あまりそこに乗っかるのではなくて、
純粋にいいものを長く作り続けていけたらいいなと思います。
あくまでもコラボレーションはお互い相手のコンセプトや考え方に
共感できるかどうかで決まってくるので。
永井さんが大事にしていることを受けとめて取り組んでいけたらと思っています。